サンドウィッチマンの事務所移籍について 高校時代はヤンチャだった!?

2019年10月24日木曜日

芸能・有名人

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どうもみなさん、今回はサンドウィッチマンのお二人について書いてみました!



サンドウィッチマンの軽いプロフィール




1998年9月に結成。グレープカンパニー所属。愛称は『サンド』。

2007年M-1グランプリ王者。東日本大震災復興魂義援基金創立者。


高校時代はかなりのヤンチャだった!




実は高校時代、カローラで通学していたという富澤。「元々、自転車で行ってたんですけど、自転車盗まれる学校だったんです」と初めは自転車通学をしていたのだが学校の治安があまりよくなかったことから2台も自転車を盗まれてしまったのだそうです。

そのためバイク通学に切り替えたそうだが、学校ではバイク通学が禁止されており、教師にも発見されてしまうことに。しかし「普通だったら停学になるんですけど、部活とかやってたんで多めに見てもらってて」と普段の真面目な態度が功を奏し軽く注意を受けるだけで済んだという。

まあ、なんとなくヤンチャだったのはわかりますよね!


サンドウィッチマンの結成


お二人は高校の同級生でありさらに二人ともラグビー部に所属していた。高校卒業後の伊達さんは福祉関係の専門学校へ進学した。しかしこの学校をたった3ヶ月で中退し、福祉関係の会社に就職して介護用品の営業販売をしていたらしいです。

富澤さんは高校を卒業後、芸人を目指してアルバイト生活を送っていた。富澤さんは既に就職していた伊達さんに『一緒に芸人をやらないか』と誘ったが、伊達さんは中々首を縦に振らなかったらしいです。それから数年後ついに伊達さんは富澤さんの説得に応じ、芸人の道へ進むことを決意する。

その背景には伊達さんの祖父の死があり、祖父の死に直面した伊達さんは『限りある人生、どうせなら、好きな事をやらないと』と悟り好きなことをやろうと富澤さんと共に芸人の道を歩み始めました。

そしてついに1998年9月にお笑いコンビ『親不孝』を結成するのですが、それから程なくして浜田ツトムさんという方が加わり『サンドウィッチマン』というトリオを結成する。



実はサンドウィッチマンのお二人は最初からコンビだったわけではなく、スタート時はトリオだった。その後浜田さんが抜け再びコンビへと戻った伊達さんと富澤さんでしたがコンビ名は変更せず『サンドウィッチマン』として活動し続けた。

コンビ結成後からしばらくの間はサンドウィッチマンの活動はあまり上手くいかず、当時の富澤さんは自殺を考えるほどだった。

その後、2人は30歳を迎える2005年を節目として「この1年を勝負の年にしよう。2005年に地上波のテレビでネタができなければ、もうオレたちは芸人をあきらめ、仙台に帰ろう」と決意し、アルバイトを辞めてライブに出まくった。

そんな2人のライブをある番組スタッフが見ておりついに2005年5月に『エンタの神様』にて念願のテレビ初出演を果たす。

そして、2007年には見事M-1グランプリを制し、一躍人気芸人となった。

人気になる前はかなりの苦労をしていたみたいですね…。その苦労を乗り越えて夢を叶えたんですね!




旧事務所『フラットファイブ』移籍の理由は?


M1を優勝して仕事の量も増えて、これからって時に、かつての旧事務所『フラットファイブ』の社長が伊達とみお、富澤たけしの活躍に感化され事務所の経営から退いてしまう。現状維持か、新事務所の設立か?答えは新事務所の設立でした。これが退所の理由になります。

伊達とみお、富澤たけしの2人が自分たちで事務所を立ち上げます。それが『グレープカンパニー』です。グレープカンパニーの給料はほかの事務所と比較してかなり高く設定されているようです。吉本よりもかなりいい給料だとか。

2018年の「好きな芸人」ランキングでは、調査開始以来首位を譲らなかった明石家さんまを抜いて1位に輝き、投票理由も「ネタが面白いから」が9割を占めた。キャラクターやコント内容も過激なものに走ることはなく、安心してお茶の間で楽しめる笑いを届けている。

あの明石家さんまさんを抜いて1位になるのはすごいですよね!


サンドウィッチマンのファンは








まとめ


今回はサンドウィッチマンのお二人について書いていきました。お笑い芸人の中でもトップクラスの人気を持つ二人ですが、どうかこれからも我々ファンの下に沢山の笑いを届けてほしいですね。

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